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耐震構造への想い

耐震構造


(昭和25年以降、日本の木造は「剛構造」です。)


右の写真は2009年10月27日に実際に沢山の見学者(建築関係)の目前で起こった出来事の衝撃的写真なのです。実験前の説明では左の建物が長期優良住宅の設計基準に適合した、各接続部分を強化した構造の建物で、右の建物は同様構造ながら各接続部分を緩く(弱く)した構造の建物であると説明され、地震波を入力すれば倒壊しますとの事でした。
しかし、実験を開始しまして10数秒後に、倒れないはずの長期優良住宅が横転倒壊してしまい、倒れるはずの右の緩い(弱い)建物が倒れずに残る結果となりました。
倒れないはずの左の建物は、筋交も外れてしまっていた様子。この事は、別のページでも紹介したように故西岡常一棟梁は、筋交について「誠に合理的な考えやけど、木造の本質を理解していない。柱の上に梁がホゾで差し込まれている。筋交に強大な地震の水平力が加わると、筋交は立ち上がり柱のホゾから梁を抜いてしまい、建物を倒壊させてしまう。筋交の考えは、あさはかな猿知恵」と酷評していました。
Eディフェンスの処でも実験の映像が有りますが、数年前に実験された京都の建物(伝統木構造)を解体し、移築したものです。耐震実験を始めますと家全体が小刻みに揺れだし、地震力を吸収している事が判ります。それは土壁全体の中に通された「通し貫」が効いている事の証でもあります。 更に地震力が加わりますと竹小舞土壁にひび割れが生じ、ついには土壁が剥落し、室内の家具等も倒れてしまいます。しかし、建物は残るのです。
 昔から地震が終わると、傷んだ処を修理し、剥落した壁土を集めて練り直し、竹小舞に練り込み補修を完了し、住み続けたのです。これは究極のECO(エコ)でもあります。
   筋交は、欧米の建築の考え方であり、これを柔構造の日本の木造建築に義務付けしてしまった事が間違いの始まりではなかったのか?阪神・神戸震災で、6400名も犠牲者を出してしまったのではないのか?
 日本では江戸時代から明治に変わった時、太平洋戦争が終わって戦後になった時、それ迄の全てを捨ててしまって、新しい時代を造る為と言う事から良い物(伝統)も一緒に処分してきた歴史が在るのです。難しい伝統的なものより、簡単な方法に飛びつくのはい
つの時代も繰返されているのです。伝統的なものは長年に渡って積み重ねられた叡智の結晶なのです。手間を掛けてない物に良い物は殆ど無いですね。

注.故 西岡常一棟梁は奈良の薬師寺・法隆寺の解体修理・新築を担当された方で伝統木構造の素晴らしさを今日に伝えてくれた名棟梁です。著書も在ります。


日本の木造は昭和24年まで全て伝統木構造(柔構造)でした。家全体で地震力を分散吸収し、被害を最小限にする事が出来ました。
しかし、昭和25年以降在来工法(剛構造)と言う筋交いを義務付けたものに替わってしまったのです。筋交いは中小の地震等には問題無く耐えられるのですが、強大な地震力には逆に倒壊させる原因にもなります。2本の柱間の下部に土台、上部に梁があります。そこの斜めに筋交いが入り固定されるのですが、強大な地震力が加わりますと筋交いが立ち上がりますから、結局上部の梁を突き上げるか、筋交い自体が脱落して倒壊に至る訳です。
800から1300年も前に築造された薬師寺・法隆寺等が何故現存しているのか?
それらの国宝は全て伝統木構造(柔構造)で築造されているからなのです。

 

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